後輪に人生

 

道端ですれ違った、自転車に乗ったサラリーマン。明らかに仕事帰りで、スーツにネクタイを閉めていた。顔はちょっとしか見えなかったけれど、多分私の父と同じくらいの歳。
立ち漕ぎをしながら、勢いよく私を通り過ぎていった。
その人が乗っていた自転車の後輪には、子供乗せがついていた。

(子供乗せっていう呼び方でいいのかな?調べてもそれっぽい単語が出てこず…)

子供乗せってこんなの⤴



なんだかほっこりしたっていう話。

子供乗せはつけるのも、外すのも手間がかかる。うちに前まであった自転車もそうだがけれど、自分の娘や息子が、もうそれに乗せられないぐらい育っていたとしても、つけっぱなしにしてしまう人は多いだろう。
そしてすれ違ったその人も。
今は使われていない子供乗せは、昔は愛しいものを守っていたのだろう。

そこまで想像して、ほっこりしてしまった。


4年生大学を卒業して、定年が65歳だとすると、社会人として働くのは40年と少し。
人生の半分にもなる時間を、社会人として過ごすことになる。しかもその労働が自分のためだけじゃなくて、家族とか、子どもの養育とかのためだったりする。私に出来そうにもない。
朝起きて学校に行く…のではなく、会社に行くことがまず、想像できない。数年後にはそうなっているはずなんだけれど。

大学生になって、人生初めてアルバイトを始めた。たかが4、5時間の労働だけでてんてこ舞いになっているから、社会人になるのがかなり不安ではある。まああと4年あるんだけど。覚悟しなくては、という気持ちだ。

最近そうやって、小さすぎるながらも、日本経済の歯車の歯になれたからか、お金を稼ぐってすごいなあ、とか、大変だなあっていう幼稚なことばかり考えている。逆に、こんな私でもお金を稼げるんだな、と自己肯定感が爆上がりしている(これぞ、箱入り娘の特権である)

私もいつか、我が子を後輪に乗せて自転車をこぐ日が来るんだろうか。これもまだまだ想像できない。

自転車に乗るサラリーマンを見てほっこりした。どうでもいいTMI。
単純すぎるけれど、バイトも頑張ろうと思います。

お父さん、お母さん、社会人の皆様、お仕事お疲れ様です。