此方より

 

部屋を綺麗にしていくと、懐かしいものがあとからあとから出てくる。もう使っていないお財布に挟まっていた大吉のおみくじとか、百均で揃えたメイクセットとか、現像してそのままになっていた写真とか。その写真に写っている、かつて大切だった人と、もう何年も連絡をとっていなかったりとか。数週間ぶりにできた丸一日のお休みで、私は部屋の大掃除をした。かねてより母から催促されていたのだが、年末年始と忙しすぎてできなかったので、やっとのことだ。散らばった服を片付けつつ引き出しを開くと、ガラクタばかり出てくる。もう絶対使わないようなものたち。如何せん部屋も狭いしまう場所も不足している。テキパキと作業を進めて気がついたときには、ゴミ袋が満杯になっていた。もともと、ものを溜め込む性分だと思う。実際我が家の屋根裏部屋には、小学生時代からの教科書、参考書、ノートなんかが山のようにあるし、私の部屋のクローゼットには、中学生のときに授業で使った柔道着やら、スクール水着なんかが、埃を被って眠っている。まだ使うかもしれないから捨てないでおこう、と思ったものは大抵、二度と使わないのだ。それらに対する若干の情を考えないようにして、使うものと使わないものに仕分けていくのはかなり億劫な作業だった。「ものを大切にしなさい」と子供の頃から言われきたせいか、捨てるという行為に嫌悪感がある。でも出来上がったゴミ袋をみて、部屋にあった大半のものは、大切にするというよりか、とっておいているだけだった。ただ捨てることを先延ばしにしていただけだったことに気がついた。

去年、祖父が亡くなったことは少なからず、私の生活や情緒、考えに影響を及ぼしたと思う。とても急だったので、ずっと実感のない感じだった。最近やっと、1歩引いて色んなことを考えられるようになったが。数ヶ月経ったが、祖父母の家ではずっと遺品整理が行われている。といっても、毎日のように廃品回収の人が来て、トラックに積んで持っていくだけ。その過程で、これは取っておこうね、というものは本当に極わずかだ。家に溢れた遺品のほとんどは祖父がいなければ出番はないものたちで、片っ端からゴミになっていった。なにもかも失ってしまった戦後の日本で育ち、高度経済成長期に働き盛りで、そりゃあたくさん持ち物を持っているだろう。実際、祖父のクローゼットの奥に大切にしまわれていたジャケットは、私の叔母の結納のときに着ていたもので、調べてみたら、私の持っている洋服よりも0が2つほど多い額の品物だった。何十年も大切に使われていたものだ。結局のところ彼方の世界には何も持ってはいけないし、最後はゴミになるんだし、みたいな考え方は、あまりに虚無的であり、無意味だ。それを考えたところでなにか変わるわけでも、購買欲求がなくなるわけでもないし。でも、人と人の繋がりも、「所有する」という行為も、生きている人間の意志と”縁”によって生み出されている。私の周りの人も、ものも、生きている”私”という人間の意思で、私の手の中に残されているし、手放されている。だから「捨てる」ことは悲しいのだろうか。私は祖父と違って、モノも情報も溢れる時代に生まれた。それが果たして幸運だったのか不幸だったのか。たまに考える。手に入れやすく、手放しやすい時代。出会いやすく、別れやすい時代。結論はいつも二転三転するから、この考えにも意味は無いのかもしれない。ゴミ袋の中のものは、かつての私にとって、確かに、宝物だったものたちだ。今ある持ち物もまあ、いつかは捨てるんだろう。それはもしかしたら明日のことかもしれないし、もっともっと後のことかもしれない。時間もお金も何かとの縁も、結局は期限付きだからこそ、大切に選んで、扱っていかないといけないと思う。といいつつ、なにに使うのかも分からない小道具を買ってみたり、誰かに送るわけでもないポストカードを買ってみたりしているから、あまり進歩は無いけれど。やっぱり、全ては縁なのだから。好きだと、欲しいと思うものは手に入れてみるべきなのだ、と言い訳してみる。突然のミニ断捨離(?)でたくさんのものを捨てたけれど、捨てられなかったものももちろんあるし、逆になくしていたものを見つけたり。多分もう、要らないもの。要らないけれど、とっておきたいもの。いつかきっと確実に手放すだろうけれど、それをするのはもっと先でいい。なんだかテンション的に長いこと生きてきた人の終活みたいだが(笑)、まだ18年しか生きていないし、この家を出ていくわけでもないんだから。

 

そんなこんなで自分の購買行動を見直していきたい2024年、あけましておめでとうございます。前の記事で「2023年の総括は年内に書きたいなー」なんて言ってたのはどこのどなただろうか。少なくとも私ではない……なんて冗談はさておき、検定試験に学校のテスト勉強が重なり、てんてこ舞いだったわけなのです。2023”年度”中には書くつもり。必ず。このブログも1年を迎えるので。今年もよろしくお願いします。ちなみに件の祖父のジャケットは、とても綺麗だったのと、最近服の好みが変わってきたのと、着てみたら案外様になったので、祖母の許しを得て貰ってきてしまいました。実はわたくし、純日本人なのですが身長が175cmほどある女の子でして。そりゃあ肩幅は合わなかったけれど丈感はバッチリだったのです(祖父は私よりも身長が低かった)。さすがに今回は、普段コンプレックスの身長に感謝しなければ。まあ、また持ち物を増やしてしまったけれどね…。まだまだ此方の世界で活躍してもらおうと思います。