自分は魔女だと思っていた。
年頃になれば、箒で空を飛べるようになると思っていた。小学校の掃除の時間、定期的に思い出しては箒に股がってみたりしていた。小学校高学年あたりまでは本気で信じていたのだから、私は他の人と比べると大分、夢見がちな少女だ。
最近そんなことを思い出して、家にある古い箒にまたがってみた。
18歳になった私はまだ、箒で飛ぶことが出来ない。
……どうやら私は魔女ではないようである。
いつまでたっても母は魔女らしい怪しい液体ではなく、香ばしい香りのするお味噌汁を煮詰めている姿しか、私に見せていない。父も弟も、いたって普通の…いや、普通より3倍いびきがうるさい、普通の男である。どうやら私の家族も、魔法使いではないようだ。
年々歳を重ねるにつれて、本気で信じる、その「本気」度合が薄れてきてはいた。それは認める。しかし、きっぱりとあきらめるには、私はまだ大人になり切れていない。情けなく駄々をこねているだけだと自分でわかっているが、長年夢見てきたものは捨てがたい。とりあえず今は魔女ではないみたいだけど、お酒が飲めるのは20歳からだし、25歳くらいまでは、定期的に試してみないといけないな、と思っている。
そんなこんなで私は魔女ではないのだけれど、きっとどこかにいるって信じることだけは、やめるつもりはない。ハリーポッターでもそうであるように、魔法使いを見ても記憶を消されているのかもしれないのだから。
「無い」ということを証明するのは、一番難しいのだから。
もしかしたら、今すれ違った人は魔女かもしれない。
世界のどこかで、本当に危険な液体を煮詰めている人がいるかもしれない。
もしかしたら、こことは別の世界があるかもしれない。
人類の全く知らないところで、魔女の文明があるかもしれない。
多分、きっとそんなことはなくて、魔女も実在しないんだろうけど、世界のどこかで怪物と戦ってる誰かがいるかもしれないって思うと、私も頑張ろうと思える。世界のどこかに魔法の花が咲いてるかもしれないって思うと、いつもより風景がキラキラして見える。
私は魔女ではないから、怪物やドラゴンと戦わなくても大丈夫な分、期限が迫りくる課題の山と戦わなくてはいけないし、母は物価上昇と戦わなくてはいけない。実質的な命の危険はないけれど、死活問題ではある。
だから、灰色の今日をちょっとわくわくして過ごすために、想像にうつつを抜かしてもいいと思っている。ありとあらゆる命はみんな、頑張って生きているのだ。
ほら今だって、電車から見える遠くの空で、魔法の粉が舞って輝いた。
かもしれない。