ビー玉と世界

 

 

ゴミゴミした道路の端っこに、きらっと一瞬光った気がした。近づいてみて、驚いた。そこにはビー玉が落ちていた。

こんな所に、どうしてビー玉が落ちているのか。季節外れのお祭りでもあったのかな。
ポツポツ推測しながら拾ってみて、多少の汚れを拭ってから覗いてみる。

私はその時初めて知ったが、ビー玉を通して見ると、世界は180°ひっくり返るらしい。

 

 

大学生になってからの1年間で新しく出会ったものたちは、もうそれでいえばビー玉みたいなものだった。

年齢が上がるにつれて、自分自身も自分の周りも変化していくことは当たり前だが、同時にもっと多様化していくだろう。
高校までは全く縁がなかったような人たちと出会ったり、手が届かなかったようななにかを手にしたり。
それらの「真新しい縁」と向き合うことはすこぶる幸せなことだが、とても胆力がいる。新しさには変化が付き物で、それは想像できないもの、あるいは予期出来ないことを含んでいる場合が多いからだ。自分の見ている世界が全てではないということ、180°ひっくり返った先の世界で生きている人もいるということ。
いい意味で普通なんてないってことを実感したし、自分の生い立ちが本当の意味で恵まれているということも考えた。

そう、だから、出会いを祝福したいのだ。ほんの少しの恐怖と、不安と、期待を抱えても。常に私たちは、自分の人生に新しい風をもたらしてくれるかもしれない、そんな新しい扉と出会っているのだ。


道端で拾ったビー玉を覗きながら思った。
この世には、美しいものは、案外そこらじゅうにある。

それは物だけじゃなくて、何かの出来事とか、感情とか、価値観とか、人とか、人生とか。
もちろんそれと同じくらい、汚いものも山ほどあるってことももう私は知っていて、どんなに美しいものでも汚い一面があるってことも、人は簡単に汚くなれるってことも知ってる。
ああそれでも、好きな物は増えていくし、夢も目標もあるし、きっと魔法は存在するし、自分は魔女かもしれないってまだ思ってる。
私の世界とは180°違うところで生きている人だって、その世界の良さや美しさがあるわけで。

だって、薄汚い路地の端に、誰も気にしない、見ないような場所に、ビー玉が落ちているのだ。世界の端っこに、輝く宝石が落ちているのだ。そういう美しさに気づける心の余裕を持って生きていこう、と思った。

 


というわけで、今年度の総括でした。

今年得た知見のひとつ。早生まれ(私は3月生まれ)の唯一の利点って、自分の歳と学年がごっちゃにならないってことかもしれない。
たくさん笑って、まあまあ泣いて、ほどほどに頑張った18歳で大学1年生の自分に、お疲れ様と言いたい。
これからまた新しい年度が始まる。大学2年生、19歳だ……。
程よくいい感じに頑張ることが目標です。

 

 


さてこのブログをはじめてもうすぐ一年。読み返してみて、ちょっと、書きすぎたな…?と。ありがたいことに、こんな未熟者の文章を好きだと言ってくれる方がいるのです。たぶんこれからもどうでもいいことばかり書くと思いますが。どうぞよろしくお願いします。