18歳を飼い慣らす

 

 

ため息が出るほどに、難しくて、めんどくさい年齢だなあ と実感している。

 

このブログにいちばん最初の投稿に、同じ趣旨の言葉を書いた。

 

「18歳とは、難しい年齢だ。お酒やたばこは許可されていないくせに、納税の義務が課せられて、国政に参加する権利が与えられる。」

 

あの時は統一地方選挙の直後だったこともあり、この文を書いたのだけれど。今日はもう少し掘り下げたはなし。

 

 

「もう〇〇なんだから」「まだ〇〇なんだから」

昔から、何かにつけて言われてきた。

もう中学生なんだから、まだ中学生なんだから。

もう高校生なんだから、まだ高校生なんだから。

もう18歳なんだから、まだ18歳なんだから。

 

場面と状況、人によって、生きてきた年数に対する評価は変転する。18という値は同一であるのに。

ある人からは「まだ若いねえ」と言われ、ある人からは「もう大人だねえ」と言われる。

ある場面では私は成熟した人でいなきゃいけないけれど、ある場面では背伸びしすぎだと怒られる。

 

私はまだそんなに大人じゃないし、そこまで子どもなわけでもないんだよなあ。そう思いながら、「まだ子どもなんだから」というお叱りを、大人らしく、大人しく聞いている。

 

めんどくさい年齢だ。

 

 

 

ここまでは他者からの評価だけど、同じように、自己の評価も変転する。

 

数年先の将来のことを真面目に考えられるっていう一面を見てみると、大人になったなあと思うし、夜遅くに一人で歩くのが怖いっていう一面を見てみると、まだまだ子供だなあと思う。

 

そして私は、大人になりたいわけでも、子どもに戻りたいわけでもない。

 

めんどくさい年齢である。

 

 

そんなことをつらつら考えつつ、それでも私は今が楽しくもある。

なぜって、全部を逆転して考えてみれば、私は大人になってみてもいい。そして子供になってみてもいい。どちらになることも許されているからだ。

 

もうなんでも知ってるって偉そうな顔をして、大人のフリをしてみる日。

まだまだなんにも知らないって無垢な顔をして、子供のフリをしてみる日。

大人の日には、自分のバイト代でちょっと高価なアクセサリーを買う。子供の日には、父親に強請ってお洋服を買ってもらう。

そんなことがきっと許される、18歳。

 

 

この文章を書き始めたとき、最初は「18歳を持て余す」というタイトルにしていたんだけれど、考えながら書くうちに変えた。

今の私を楽しめる時間は、今しかないのだ。いくら中高生時代の青春が懐かしかろうと、いくら社会に出て働きたくなかろうと。戻れないし、逃げられない。

持て余すなんて、もったいない。今を謳歌しないといけない。

難しくてめんどくさくて、無敵な18歳を、飼い慣らして生きなくては。