言葉と喧嘩

 

前期に書いたブログでも出てきた、必修の英語の授業でのこと。その日のトピックスは、「近所の人との喧嘩」だった。
パートナーを組みお題を配られて、それについて抗議する側と、反論する側に分かれる。例えば、「近所の人の子供が、あなたの庭の果物を盗んでいます」というお題であれば、それをパートナーに訴えるところから始まり、パートナーは「証拠はあるんですか?私の子供ですか?」と食い下がる。英語で口論をする訓練だ。

母国語である日本語でもいえるが、口喧嘩ほど難しいものはない。自分の持っている語彙力をひっくり返して、ありとあらゆる言葉で相手を攻めなくちゃいけない。下手すれば体を使った喧嘩よりももっと疲れる。

あくまで英語の授業だからパートナーは同じ学生だ。そのせいか「You are stupid.」なんてふざけた文句もでてきたが、この会話を本場でしたら銃殺されそうだな、と思ったりした。


その夜、弟と母が大喧嘩を繰り広げた。弟は今まさに反抗期絶頂…という感じで、私と母の手を煩わせているのだが、この日は今にも掴みかかりそうな勢いだった。だが、幼い頃から私に鍛えられてきたのもあって(急な自画自賛)、彼はとても語彙力が豊富だ。私でさえ「そんな言葉知ってるの?!どこで知ったの凄いね!」となるぐらいだ(その驚きを毎日のように弟に伝えるものだから、なんの反応も返してもらえなくなっている)。多分ものすごく頭を回転させながら言葉を駆使して母を攻める弟に、いっそ清々しさが込み上げて、序盤は仲介に入らなかった。その後まあなんだかんだと妥協して(疲れた母が試合放棄して)、喧嘩は終わった。賑やかな夜だった。

度重なる応酬のなかで手を出さなかった弟に対して、手放しで褒めてあげたかったが、さすがに汚い言葉を使いすぎていたので我慢した。後半は口論というよりも、「いかにして相手を傷つけるか」に注力してしまっていたので、さすがに割って入ったのだけれど。まあ一昔前までは母に殴りかかっていたか、途中で諦めていたか、泣いていたか。スポーツで培った馬鹿みたいな体力の恩恵かもしれないが、口論をあれだけ長くできるとは、成長を感じたところだ。
普通に会話をするより百倍難しい。口喧嘩ほど大変な喋るという行為はない。逆に喧嘩を言葉でできるということは、言葉を使いこなすようになってきたということ。弟には汚い言葉を使わないで、論理的に相手を攻められるようになってほしい…よし、お姉ちゃんともっと喧嘩しようね、と思うなど。

 

 

 

そんなこんなで今学期の英語の授業はスピーキングが主である。受験期のおかげもあってリーディングは上手くできるものの、要するに言葉をアウトプットしようとすると途端に下手くそになる。書いたり打ち込んだりするのとは違って、瞬間的に文章を組み立てなければいけない…難しいことだ。授業内のちょっとの話し合いすら英語を使うのでとても疲れるが、楽しく学んでいる。そろそろ英語圏の国に旅行なり留学なりに行きたいな…と考え中。

そしてあっという間に10月も後半戦。数日前校内を歩いていたら、突然懐かしい香りがした。あたりをきょろきょろして見つけたのは、なんとも大きな金木犀の木。初めまして4年間よろしくね、と思うなど。

最近コロナに加えてインフルエンザも流行っているらしく、すでに私の周りでも被害者が続々だ。あんまり欲張りすぎず活動しなければ。皆さんも体調にお気をつけて。そして太陽よ、まだ遠くに行かないで!