19 tears

大学生になって変わったことは数あれど、中高生のときなら全く話題に出なかったようなこと、話題に出せないようなことを、淡々と喋るようになったことは、なんだか自分も周りも違う人になったようで面白い。
今と過去は当たり前に地続きで、それについて疑うことはないけれど、中学校から高校に上がるときと、高校から大学に上がるときとを比べると、全然違うなぁ、と感じる。

世界が広がったといえば、それはそうだろう。今思えば、小中高生時代の「クラス」という仕組みの、なんと非人道的なことか。それもかけがえのない日々であり、確かに楽しかったけれど、今、あの「クラス」てきなものに入れられたとして、あの頃のように上手く順応出来るかどうかは分からない。


中途半端に知らないくらいがちょうど良くて、不安定に気まずいくらいが接しやすいと知ったのは、大学に入ってからだろうか、それとももっと前だろうか。
この頃、簡単に切れる縁がこの世界にはたくさん存在することに、ひどく救われた気持ちになる。いや、切れるとは違うか。薄くなる、または細くなる縁。
「人は必要なときに必要な人と出会う」と、いつか読んだ小説に書いてあった。大学生になってその意味がよくわかる。関係を持続させようとしなくなると、人との縁は簡単に。それは自ら選んだことで、楽ではあるが、自業自得に寂しさを感じたりする。
例えば、今日授業のペアワークで仲良くなったあの子と、もう二度と話さないかもしれないこと。けれど今日の授業がその子のおかげで楽しかったという事実は本物で、もう二度と話すことはなくとも、思い出は変わらない。

 

最近いろんなことを思い出して、古いメモや文章や写真を見返して、寂しくなったり、悲しくなったり、いとおしくなったりする。そして、今の私のことを考えて、怒ったり、あきらめたり、また寂しくなったりする。

そうやって繰り返していると、今いる場所と、過去いた場所はつながってはいるが、今がどうであっても、過去には何の影響も及ぼさないことに気付く。

今が良くても悪くても、過去は何にも侵されず、そこにある。

今の私がどんなでも、過去の私は変わらずそこにいる。

だから、人は変わっていけるし、前に進めるのだと思う。

そういう自由さが大学生活にはあって、狭いひとつの空間で生活していたころには感じてなかった開放感みたいなものが、寂しさと共にある。

 

私たちは気づかないうちに、広い世界に放り出されていた。
大学2年、19歳。お酒はまだ飲めなくて、車の免許は取れて、”成人”2年目のラストティーン。

中学も高校も、人生単位でみたら全然最近の出来事なのに、どうしてこうも昔のことのようなんだろう。

電車に乗っている制服を着た少女たち誰よりも年上だということに、私はまだ慣れない。